推薦します!
「自閉症児のためのTEACCHハンドブック」 佐々木正美[著]
ノースカロライナ大学TEACCH部ディレクター ゲーリー.B.メジボフ
佐々木正美氏は、日本の自閉症スペクトラム障害の人々へ、TEACCHプログラムを実践してきた最先端の専門家の一人です。1982年以来、彼はノースカロライナのTEACCH部と価値ある共同作業を継続してきました。
今回刊行された『TEACCHハンドブック』は、彼が1993年に著した『自閉症療育ハンドブック』を改訂したものですが、旧版は数多くの日本の専門家にTEACCHの原理や方法を紹介してきました。この度の改訂版では以前の成果を今日の視点で見直し、最近の進歩に光を当てているという意味で、前作と同様の価値を約束してくれます。
自閉症スペクトラム障害とTEACCHプログラムに関心のある読者なら、だれもが本書の価値を知ることでしょう。
推薦のことば
「子育て日記―わが子の『困り感』に寄り添って」 26名共著
(社)発達協会常務理事 言語聴覚士・精神保健福祉士 湯汲英史
『発達教育』2008-2月号より転載
障害をもつ子を育てる26人の親の手記が、一冊の本になって出版されました。タイトルは 「子育て日記― わが子の『困り感』に寄り添って」 (1,785円 税込)です。1月に学研から刊行されましたこの本は、本誌に連載された「私の子育て日記」を元に作られました。「子育て日記」をお読みいただいてきた方々はご存知でしょうが、手記に出てくる子どもたちの障害は、知的障害、自閉性障害、脳損傷後の機能障害、学習障害などさまざまです。
1980年代の初めまでは、パール・バックの「母よ嘆くことなかれ」など一部を除き、障害をもつ子を育てる姿を伝える本は限られていました。当時子どもは、医学などの学術書で紹介され、掲載写真の両目には黒い線が引かれていました。子どもを特定できないようにするためでした。それから30年、今回出版された「子育て日記」には、写真こそありませんが実名で、子育ての姿が生き生きと語られています。
実は、この本の中には筆者が担当し、あるいは合宿や山登りに一緒に行った子が半数以上登場します。親子の「闘いの場面」も知っています。
知的障害など発達障害があると、ある場面と特定の行動が結びつきがちです。ときにその結びつきは強く、「問題行動」となりがちです。この本の中にも似た例が出てきますが、自動販売機の前を通るときにジュースを買わないではいられないなどもその一つです。「自動販売機=ジュースを飲む」という思い込みは、一度できると強く、子どもの要求に大人は負けてしまいがちです。そして気がつくと、子どもは自分の思い通りにならないといつも大騒ぎするようになってしまいます。親はこのままではダメだと考え、子どもの要求に対して必死に闘います。ところが、一度形作られた行動様式は、そう簡単には修正できません。
自動販売機が壊れていて、お金を入れても出てこないとします。こういうときに人間は、繰り返しボタンを押したり、ときには販売機をたたいたりします。こういう激しい行動を「反応バースト(爆発、興奮)」と呼んだりします。子どもが見せる変化への激しい抵抗は、まさに反応バーストと同じです。ただ、何度押しても出てこないと、結局はボタン押しをやめます。このことは子どもも同じです。
普通の子育てにも似たような場面があります。真剣に教えないと子どもが誤解する、と感じることがあります。ただ知的障害などがあると、理解させるまでに時間や回数がかかり、その間、親には途方もない根気や必死の努力が要求されます。そのことは、手記をお読みいただければお分かりいただけるかと思います。何度読み返しても、今教えないと将来大変なことになるという親の必死な思いが伝わってくる本です。その親の思いこそ、本当の愛情であるとも思います。さまざまな親子の場面を思い出し、つくづくと親の愛情のありがたさを感じます。
子どもは、親の胸を借りてぶつかり、その体験を含めて理解を深めます。誤解しないで育てば、子どもは自己コントロールができるようになり、社会参加も可能となります。
子育てに悩み、奮闘している保護者の方々に、一つの方向性を示すとともに、勇気と意欲の素になることでしょう、心からのお薦めの本です。
著者インタビュー
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新刊『自閉症児の困り感に寄り添う支援』
の佐藤 曉先生
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Q1 今度の本は「困り感」シリーズの3冊目となりますが、前2冊との違い、また本書に寄せる思いをお聞かせください。
A1 前の2冊との違いは、対象を自閉症に特定したうえで、支援の方法はもちろんのこと、子どもの理解に力点をおいたことです。
自閉症が、周囲から理解されにくい障害の一つであることは確かです。しかし、ある程度この子たちのことが分かってくると、それこそ目からうろこが落ちるような感動があるとともに、自閉症の障害理解という範囲を超えて、人間そのものを理解する領域へと視界が開けてきます。
安易に支援のハウツーを求めるのではなく、自閉症、いや人間理解を基盤にした支援のあり方を考えたくて、この本を書きました。
Q2 本書では、自閉症の子どもの「困り感」や生きる姿を、哲学や倫理学のことばを使って語られていますが、その意図するところをお聞かせください。
A2 繰り返しになりますが、障害のある人たちの支援をするには、やはり人間理解がその基礎にないといけない思います。それを培うために、わたしは、哲学や倫理学からたくさんの知恵をもらいました。
周囲の状況を把握したり、他者と会話を交わしたりと、ふだんわたしたちがごくあたりまえにしていることがそもそもどういうことなのか、そんなことがなぜわたしたちにはできてしまうのかを哲学は問います。
こうして、人が適応的に生きていけるわけを問いつめていくと、「なるほど、この子たちにはこういうことが失われているのか」と、自閉症の子どもたちが抱く「困り感」の源泉が、眼前の霧が晴れるがごとく見えてくるのです。
Q3 本書では、言語とコミュニケーションの問題について、かなり解説されていますが、自閉症の子どもを語るうえでの、このテーマの重要性は何なのでしょうか。
A3 自閉症の子どもの言語使用やコミュニケーションのまずさは、これまで、言語能力、コミュニケーション能力の障害といったように、本人の側の問題として取りざたされることが多かったように思います。
しかし、言語とコミュニケーションというのは、あくまで他者があって成立するものであり、これらはむしろ、他者との関係性の文脈で語るべきだと思います。他者への「要求」、他者からの「期待」、そして他者とつなぐ「媒介」。この本では、こうした切り口から、言語とコミュニケーションの問題を語っています。
この問題を考えることで、自閉症の子どもの「困り感」がいかに人と人との「あいだ」で生じているのかが、あらためて確認できると思います。
Q4 読者のかたがたへ、どのように自閉症の子どもたちを理解し、支援してほしいかを教えてください。
A4 かつてわたしは、脳性まひの子どもの訓練をしていたときに、あの子たちのからだの使い方がどうしてこうもうまくいかないものかと、停留所でバスを待っているときも、子どもの動きをなぞっていました。
相手が自閉症の子どもでも同じです。あの子たちの困っている様子を見ていて、自分にもそういうことがないかと、折に触れて考えています。そうすると、けっこうわたしにも似たような経験があることに気づきます。そして、そんなときどうしてもらったら助かるのか、あれこれ思案してみるのです。
子どものからだをなぞるといってもいいでしょうか。こうしてこの子たちの「困り感」に密着することで、まさにかゆいところに手の届く支援ができるのだと思います。
書 評
『子ども虐待という第四の発達障害』 杉山登志郎・著
高い専門性をもつ
児童・思春期精神医学の入門書
東田陽博(金沢大学大学院医学系研究科教授・COE拠点リーダー)
虐待による子ども(主として幼児)の死が多くなり,親が子を(逆のケースも多くなったが)殺すことが特別な事件でなくなった現代にあって,虐待によって脳の発達に障害が生じることを多くの臨床例から著者が気づいた,その報告である。虐待は一般には身体的損傷が注目されがちであるが,著者は,虐待が精神への障害をもたらし,しかも,長期にわたって作用することを指摘している。
被虐待児の発育中にみられる障害は年齢に応じて異なる。まず初めは,反応性愛着障害の「無関心・無感動」としてあらわれる。次いで虐待が長期化するに従い「解離」となる。自己離脱をすることで虐待の痛みや苦しさから逃げられるように反応するようになる。学童・中学時代には多動性行動障害として,突然怒りだすなど「きれる」(おさまらない)状態になる。そして虐待の精神に適切な介入がなされないままで成長すると,「多重人格」と呼ばれる解離性同一障害となると,明解に書かれている。
正確な観察と深い洞察力から,これら被虐待児の示す障害は広汎性発達障害と類似していることに著者は気づいたわけである。被虐待者はある一定の傾向(はっきりした臨床的輪郭)をもつことから,新しい一つの発達障害症候群と考えられることを提唱している。
著者の前著『アスペルガー症候群と高機能自閉症の理解とサポート』(学研,2002年)や『アスペルガー症候群と高機能自閉症 青年期の社会性のために』(学研,2005年)の中でも「虐待とファンタジーへの解離と非行」について述べられていた。本書はその部分について,大きく発展させ一冊の本にまとめたといえる。
著者の主張について,精神医学の専門家から見たとき,学問的にどのような問題点があるのかは評者としては判らない。しかし,児童精神医学者でないがこの領域で研究している評者にとっては,今の日本の医療現場を生々しく体験できたと感じるほど,明確な症例の整理であり提示である。したがって,この分野に進もうとしている研修医や臨床心理士,学校教育現場のケースワーカーなどにとってはもちろん必読の書である。専門の小児神経医,児童精神医にも読みごたえがあると思われる。
一般向けにやさしく書かれたような体裁はとっているが,実は専門性を高くもつ児童・思春期精神医学の入門書というべきであろう。
虐待は世代を越えて繰り返し行われるという意味で,長期の展望に立って社会が対応すべき課題である。また虐待から児童保護施設に隔離しても,その施設で十分な人の手や愛情を受けられない現状を著者は憂慮している。「子どもの数をペットの数が上回った」というおもしろい統計を示すことによって,著者はペットに注がれる社会の関心と愛情を,不幸な子どもたちへ少しでも振りむけられないかと,虐待問題に社会全体としての解決策を提言している。
最後に,本書は前二著に劣らないインパクトをもち,被虐待者の精神発達という,過去の症例の少ない現代医療の最前線の解説書としてたいへん重い意味をもつ。
書 評
『子ども虐待という第四の発達障害』 杉山登志郎・著
これまでになかった 新しい視点から
発達障害にアプローチした画期的な本
山下文雄(久留米大学医学部名誉教授・小児科専門医)
子どもの発達障害を「子ども虐待」と結びつけて分類した著者は,これまでにいなかったように思う。あらためて指摘されてみると,これほど明らかな何世代にも及ぶ発達障害という名の後遺症の成因となりうるものはない。著者は,数多くの被虐待児をお世話しているうちに,「この子どもたちこそ,明確な発達障害症候群としてとらえるべきではないか」と考えるようになったという。
著者は,被虐待児を第四の発達障害と呼ぶ。第一群は,精神遅滞,肢体不自由などの古典的発達障害,第二群は,自閉症症候群(ちなみに著者は,アスペルガー症候群の子どもたちと家族を支援する会を組織している),第三群は,学習障害,注意欠陥多動性障害などの,いわゆる軽度発達障害,そして第四群こそ子ども虐待によって起こった発達障害である。
著者のことばを借りるなら,このようなことは数百名の被虐待児を支援してきて初めて分かったのである。発達障害は,早期からきちんとした治療教育を行えば,適応障害につながることなく成長が可能だと著者は強調する。しかしそのような対応がなされない場合には,何世代にもわたる不適応問題を残してしまう。
子ども虐待の時代的な流れを振りかえってみると,小児科医が子ども虐待に初めて目を向けたのは,1940年代,アメリカで多くの報告がなされた時のことである。放射線専門医キャフィーや小児科医ケンプの報告ほか,多数の報告があった。当時,これらの症例は「battered
child syndrome(たたかれた子どもの症候群)」とも呼ばれた。主として身体的虐待に注目したからであろう。 わたしが被虐待問題に出会ったのは,学会で海外出張の時(1967年ころ)米国の空港で買った一冊の本『The
Scofield Diagnosis(女医スコフィールドの診断)』であった。この物語の中で,女医スコフィールドは母親による虐待が子どもの外傷の成因であることを見ぬいたのであるが,その処遇(昇進)にも女性差別があった。被虐待児の父親は電子工業の社長であり、CTのような医療機器の寄付をしていて,病院の人事へも口を挟むことができた。
その後,わたしが実際に出会った忘れられない事例は,きょうだいの兄が虐待の対象であった。兄の左上腕には骨折のあとがあった(X線)。弟は体格も血色もよく,栄養失調でやせこけた兄とまったく違う。祖父の報告によって母親の虐待が明らかになったのであるが,母親の自白によれば,下痢が続いたからうすい粥を与えつづけていたという。
当時はアメリカ社会での虐待のまん延に驚いた小児科医たちであったが,今や日本全体に「子どもの虐待」が横行する時代になった。子ども虐待は日本の津々浦々,どこで起こってもおかしくない。そして心身ともに後遺症を起こし,それが次代,次次代にまで後遺症を残すのである。
書 評
『子ども虐待という第四の発達障害』 杉山登志郎・著
子ども虐待による問題を
明確に分析し 整理してくれた本
佐藤拓代(東大阪市保健所所長)
障害の中で取り組みが遅れていた発達障害も,平成17年に施行された発達障害者支援法により定義がなされ,ようやく支援の緒についた。我々,公衆衛生・母子保健に携わる者は早期発見と支援が重要な課題であるが,親も子どもの育てにくさがあり,虐待予防という視点でも支援が必要な対象である。しかし,子どもに起こっていることが虐待と発達障害のどちらによるものなのか,何が根本の問題なのかという鶏と卵論的もどかしさがあった。
著者は豊富な臨床経験から,発達障害は第一群の「精神遅滞,境界知能」,第二群「知的障害を伴った広汎性発達障害,高機能広汎性発達障害」,第三群「注意欠陥多動性障害(ADHD),学習障害」,第四群「子ども虐待」と分類し整理してくれた。
虐待によっておこる発達障害は,反応性愛着障害があり幼児期から学童期には多動があるが単なるADHDと異なるところは,“乖離”だという。さらに,MRIやPETなどの脳の画像診断において,広汎性発達障害やADHDよりも器質的・機能的変化が大きくみられるとし,このことが,子ども虐待が大きな障害であり治療も困難なゆえんであるという。
この治療においても著者は,医師,心理士,看護師,保育士,理学療法士など多彩な職種による構造的治療を行い,「よくぞここまで生きのびてくれた」と思うような凄絶な虐待を受けた子どもに,すばらしい治療を行っている。このような医師と施設が全国に欲しいものである。
豊富な事例に基づき,虐待によっておこる行動,情緒の問題を解き明かし分析し,明確に整理してくれたこの本は,医学・教育・心理・福祉・保健などの多岐の分野で被虐待児に接している方にぜひ読んでいただきたい本である。
書 評
『子ども虐待という第四の発達障害』 杉山登志郎・著
怒りを抑えながら 専門家として書きつづった告発の書!!
副島洋明(弁護士)
この本は実に読みやすく分かりやすい。子ども虐待という社会の“底辺”の事象を扱った専門書でありながら,わたしたちに見せてくれる世界は,人間への信頼,そして人間をはぐくみ育ててきた文化の再生というメッセージなのです。この本は,杉山登志郎という一人の優れた精神科医が,子ども虐待と発達障害の臨床現場でつかみとった医療的知見と思いをまるでドキュメントのように語った,現場の専門書か,あるいは深い入門書といえるだろうと思います。ほんとうによい本を書いてくれました。
このような書評を書く機会を得て,「発達障害」をもつ人たちの弁護にかかわる者として喜んでいます。著者はこの本を書いた動機として『子ども虐待は,脳自体の発達にも影響を与え,さまざまな育ちの障害をひきおこす』『これまでなぜか,発達障害という視点から子ども虐待が論じられることは乏しかった。この本は,子ども虐待に生じる発達上の障害の理解とその対応を,発達障害臨床という視点からの整理と啓発を目的としている』と書いています。
「第四の発達障害」という指摘にわたしは強く引きつけられ,そして納得させられました。ただ,医療的には確かに「第四」かもしれませんが,わたしには「障害と社会/生きづらさ」からいえば「第一」という意味になります。著者の人柄,専門家としての志が如実に伝わってきます。著者は,500名を超す子ども虐待臨床の現場から,その後遺症に苦しむ子どもや親たちの症例を数多く挙げて,その成育環境,とりわけ愛着と親愛にはぐくまれた人としての暮らしの“大切さ”を書いています。
発達障害の視点を中心にしたさまざまな症状(障害・疾患)を具体的な症例を通して,発達障害,愛着障害,解離,多動性行動障害などの“実際”として提示してくれています。それらの症状・障害がいかに複合的に関係しているか,どのようにらせん状に深化していくかを,また,わたしたちが実践的に支援や介入にかかわる際,どのような症状を見おとさずに接近して関係をつくり支援していくかを,著者自身の体験から数々の具体的事例(臨床)として紹介してくれています。そして,広汎性発達障害の“臨床報告”として,最新の脳科学や心理学・自閉症研究の実績を踏まえた専門的知見を提示してくれます。
著者は,わたしたちの脳と心は可塑性と柔軟性に富んでいるという“事実”をあらためて教えてくれています。個体としての多様性の中で,先天的(器質的)に脳に脆弱性をもって生まれてくることは避けられません。しかしそうであっても,人は社会的に共生する存在として他者,とりわけ大人との愛着と親愛的な関係の中で育ち発達していくものなのだ,という感を強くもちました。そして,この本は実践的です。わたしのような,医療者ではなく,広汎性発達障害をもつ人たちへ専門的な支援者としてかかわっていこうとする者にとって理解と指針を提供してくれます。
この本は,子ども虐待と発達障害の臨床現場に深くかかわった医師が,みずからの“怒り”を抑えながら専門家として書きつづった“告発の書”かもしれません。
書 評
『特別支援教育のプロとして子ども虐待を学ぶ』玉井邦夫・著
『特別支援教育のプロとして子ども虐待を学ぶ』に学ぶ
関口博久(宮城教育大学教職大学院教授)
著者の玉井邦夫氏が情緒障害児短期治療施設にセラピストとして勤めていた折に最初の出会いをもって以来、互いに仕事や立場はいろいろと変わったが、わたしたちは一貫して、臨床家として、子ども虐待・特別支援教育などに共にかかわってきた。
わたしは玉井氏の優れた臨床的センスと、たぐいまれなことば紡ぎの力にはいつも感心させられてきた。今回出版された『特別支援教育のプロとして子ども虐待を学ぶ』にも、そのセンスと力が随所に発揮されている。
まず、プロローグの創作事例が見事である。「発達障害」と「子ども虐待」の二つの領域での豊富な臨床経験の蓄積がなければ、この衝撃的な架空事例は描き出せないだろう。読み手は最初から「あなたならどうする?」と、この問題の重さを突き付けられる。
次に、特別支援教育という動きが必然的に始まった経緯を解き明かしたうえで、学校教育の現場が子ども虐待という現象に対して何をしなければならないのかについて、真摯(しんし)な問題提起がなされる。
「学校とは、すべての子どもと家庭に投網的に関与することができる我が国唯一のヒューマンサービスシステムである」とは、玉井氏が機会あるごとに主張している、きわめて重要な指摘である。
かつては「学校は子ども虐待の最大の発見場所、教師は最も重要な発見者」というとらえ方を浸透させることが、まずは最重要課題であった。しかし、今は学校の役割は発見と通報だけではない。なぜなら、「児童相談所に通告された虐待ケースの実に八割から九割は、在宅のままで地域の資源のネットワークによる見守りとケアの対応が続く」からである。
教育現場がつい抱きがちな「通告すれば、白馬の王子のごとく福祉スタッフが子どもを家庭から分離していき、問題は解決する」という期待は幻想にすぎないのだ、という著者の指摘は重い。
この本の中枢部分は、「発達障害」と「子ども虐待」とのかかわり・つながり・関連についての重層的な論考と、そこから引き出されてくる対応論である。
発達障害のある子どもが虐待を受けやすいことはかなり前から知られていた。そして、虐待を受けた子どもが発達障害と見まがうような様相を呈することがしばしばあることも、西澤 哲氏・杉山登志郎氏らの指摘により、認識が広がってきている。
玉井氏は、その二つの事実をさまざまな角度から検討し、学校現場が子どもの逸脱行動が生じてくるメカニズムを理解することがきわめて重要であると指摘しているのである。
学校現場は多忙を極めている。新たな問題が次から次へともち込まれてきて、教師は息つく暇もない。でも、なんとか時間のやりくりをして、ぜひ本書を読んで学んでいただきたい。知識を深めることが、子どもの命を護り、そして子どもの一生をポジティブなものに変えていくことにつながるのだから。
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