伊勢神宮・内宮編

 伊勢市で一泊し、翌朝一番で伊勢神宮の内宮へ向かう。素朴な鳥居の向こうに、昇ったばかりの朝日が輝いている。太陽神の住まう地の早朝の空気は鮮烈で、深呼吸をすれば体中の細胞が歓喜にわく。敷地内にある五十鈴川のほとりが御手洗場で、そこで手を清める。山奥の渓流もかくやの水の透明度に驚く。ここは何もかもの純度が高い。

 石段を上り、正殿へ。外宮よりも一つ多い五重の垣の奥にあり、その姿を拝むことはできない。昨日の反省を踏まえ、わいてきそうになる俗な願いを頭の中から追い出し、純粋に感謝の気持ちを天照大神に告げる。

 正殿の敷地の隣は白い石を敷きつめた更地になっている。かつて正殿があった場所で、十三年後にはまたここに戻ってくるのだ。二十年に一度の伊勢神宮の大祭、式年遷宮である。この神様のお引っ越しは千三百年にわたって繰り返され、社殿ばかりではなく、神宝や装束などもすべて新しく入れ替えられる。

 奈良時代以前からの文化やそれを生み出す技術が伊勢神宮に残っているのは、そうして二十年ごとに新しく造り替えてきたからだ。古いものが新しいものに取って代わられるのは時代の必然だから仕方がない。古きものを残していくためにはそこに必要性が不可欠なのだ。二十年というちょうど一世代のターンで新しくしていくことで、建築にしろ調度品や服飾品にしろ、そこで必然的に技術の継承がなされる。造っては壊すことで、千三百年前と変わらぬ姿を今に残す伊勢神宮のこのシステムは天晴というほかない。

 外宮で感じた違和感は内宮でも続いていたのだが、土産物屋や飲食店が並ぶおはらい町を歩きながら、ようやくその正体に気がついた。著名な観光地にもかかわらず外国人観光客がほとんどいないのだ! 中国語も韓国語も飛び交っていないし西洋の方の姿も見えない。

 伊勢神宮はあまりにもディープで、外国人には理解しがたいらしいのだ。素朴を生かした建築物は色がなく地味だし、立ち入り禁止や撮影禁止の場所もやたらと多い。せっかく来ても正殿を見ることすらできないのだから、観光地としては面白くないのだろう。

 だとしたら、ここは神の御霊に触れられる特別な場所だと感じられる自分の中には、やはり脈々と受け継がれてきた日本人の魂があるのかもしれない。

今回4350歩 距離約2.5km

(まいた・ようへい=芸能ライター)