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【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第19回 国を立て直した女性リーダーたち<マーガレット=サッチャー/コラソン=アキノ>

【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第19回 国を立て直した女性リーダーたち<マーガレット=サッチャー/コラソン=アキノ>

教科書などを読むと、男性の歴史人物を多く目にする印象がありますね。でも、世界・日本の長い歴史の中には、歴史をつくる活躍をした女性も数多くいるのです。
ここでは、多くの困難に立ち向かいながら、信念を貫き、功績を残した女性たちの姿を美しいイラストとともに紹介します。歴史をつくった女性たちのストーリーを入り口に、日本や世界の歴史を知る旅に出かけましょう。

7月19日は、女性大臣の日です。第19回は、イギリスとフィリピンで、信念をもって国を立て直した女性リーダーたちを紹介します。
女性大臣の日…1960年7月19日、第1次池田勇人(いけだはやと)内閣に中山(なかやま)マサ衆議院議員が厚生大臣として入閣し、日本初の女性大臣が誕生したことに由来する。

マーガレット=サッチャー (1925年~2013年/イギリス)

「人間として必要なことはすべて父から学びました。」マーガレット=サッチャーは、勤勉な父を誰よりも尊敬していました。「何事も自分の意思で決める」「みんなの後についていくような行動はとらない」という父の教えを、マーガレットは政治家になっても守ります。

保守党の党首時代から強固な政治姿勢を貫き、「鉄の女」と呼ばれたマーガレットは、1979年、イギリスで初めての女性首相に就任します。国家財政の再建に着手して、電話・ガスなどの産業を民営化し、財政を大きく改革。サッチャリズムと呼ばれる経済の立て直しでは、国民から猛反発を受けることもありました。それでもマーガレットは、強い信念で政策を進めます。そして、いつしかイギリス経済は好転し始めました。

1982年、南アメリカ大陸の南端にあるイギリス領フォークランド諸島に、アルゼンチンが武力侵攻する事件が起きました。マーガレットは、直ちに艦隊を現地へ大量派遣し、イギリスを勝利へ導きました。以降、マーガレットは強いリーダーと称賛され、高い支持率をキープ。11年にわたる長期政権を持続して経済の大改革に成功します。
「わたしたちは後戻りをしてはならない。前に進んだ時にこそ未来が約束されるのです!」
イギリスの国力を向上させたマーガレット=サッチャーは、大政治家として人々の記憶に残っています。

コラソン=アキノ (1933年~2009年/フィリピン)

「夫が暗殺されなければ、政治の世界に入ることはなかった。ましてや大統領だなんて…。」こう言ったコラソン=アキノは、暗殺された政治家のベニグノ=アキノの妻でした。
1970年代、フィリピンはフェルディナンド=マルコス大統領の悪政により、政治も経済も大混乱。貧しさに苦しむ国民が、次期大統領と期待したのが、マルコス批判の先頭になっていたベニグノでした。ところがベニグノは何者かによって暗殺されてしまったのです。悲しみに暮れるコラソンでしたが、葬儀に参列した百万もの国民を目の当たりにして、「わたしは救国の思いを胸に暗殺された英雄の妻。夫の志を無駄にしない!」と大統領になる決意をしました。

コラソンは自身のシンボルカラーの黄色のスーツを着て、「ラバン」(タガログ語で「戦い」の意味)の頭文字「L」を指で示しながら大統領選挙活動を展開。マルコスから「素人に政治は任せられない」と批判されれば、「国民をあざむき、盗み、政敵を暗殺する経験がないという意味ではわたしは素人だ」と切り返します。
そして、1986年2月、投票が行われますが、マルコス側による集計のごまかしが発覚。すると軍がマルコス側に対して反乱を起こし、黄色いTシャツを着た数百万の国民が集まって抗議しました。負けを確信したマルコスはハワイへ亡命。この「ピープル・パワー革命(エドゥサ革命)」で誕生したコラソン=アキノ大統領は、フィリピンの近代化と経済の回復に大きく貢献しました。

【歴史解説】彼女たちが生きたのはどんな時代?

“アジア・アフリカ会議が開催! (1955年)”
1955年、インドネシアのバンドンで、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)が開催されました。かつて植民地であった国を含む29か国が参加し、平和共存・反植民地主義などをうたった「平和十原則」を決議しました。

“日本が国際連合に加盟! (1956年)”
日本は主権を回復した1952年に国連へ加盟申請しましたが、ソ連の反対で実現しませんでした。その後、1956年に日ソ共同宣言の調印でソ連との国交が回復すると、ソ連の支持も受け、同年、日本は80番目の加盟国となり、第二次世界大戦をはさんで約20年ぶりの国際社会への復帰となりました。日本は国連の主要機関である国連安全保障理事会の非常任理事国を、現在まで、加盟国中最多の11回務めました。2023年からは12回目の非常任理事国を務めることが決まっています。

“日中平和友好条約を締結! (1978年)”
第二次世界大戦後、日本と中国は国交がありませんでしたが、1972年に田中角栄(たなかかくえい)首相が日中共同声明によって国交が正常化。1978年には福田赳夫(ふくだたけお)首相によって日中平和友好条約が結ばれました。


出典
『歴史をつくった女性大事典<1>古代~近世の巻』
『歴史をつくった女性大事典<2>近代~現代の巻』
学研プラス(編)/監修:服藤早苗(埼玉学園大学教授)
各定価:3,520円(税込)

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