WEB限定 書き下ろし小説

出逢い~星見の塔誕生

前編

「……もう、放っておいてくれないかなあ」
 アンリは小さくため息をつく。
「みんな僕を特別な眼で見る。僕はただ、守るべき人を守っただけなのに。僕は英雄物語の主人公じゃない。時々、王都から逃げ出したくなるよ。誰も僕を知らない土地にね」
「……アムとかキャスリーンとか、あんたを必要としている人たちを放り出してかい?」
「セルマ?」
「あ、あたしだってさ、あんたにいなくなられると困るひとりだからね!」
 セルマはそう言うと、プイと横を向く。
「……赤くなってる」
「!」
 ゴツン!
 と、セルマがアンリの頭にこぶしを落としたところに……。
「あの……」
 トリシアが、空になったカップを差し出した。
「……おかわり、いいかな?」
「もちろん」
 セルマは笑顔でカップを受け取ると、カウンターに向かう。
「この店じゃね、遠慮は禁止だよ」
 陶器のミルクパンが火にかけられ、ミルクが温められる。
「お腹が空いたら、いつでもここにおいで。じゃんじゃん食べさせてあげるから。アンリのおごりで」
「あはは……」
 力なく笑うアンリ。
「いっそのこと、ここに住むかい? 三階に空いてる部屋もあるし」
 ハチミツをパンにたらしながら、セルマは提案した。
「このあたりの人間はみんな気さくでいい連中ばかりだし、きっと気に入るよ」
「……ここ、南街区じゃないか」
 レンは唇を噛むと、カップをテーブルにたたきつける。
「南街区の連中が、いいヤツの訳ないだろ!」
 そう言い捨てると、レンは席を立ち、店から飛び出していった。
「あ、あたし、何か気に障ること言ったかい?」
 セルマはうろたえる。
「……レンもわたしも、南街区の生まれだよ」
 空になった皿を見つめながら、トリシアがポツリと言った。
「もっと外壁に近いほうだけど」
「そうだったのかい? 初めて逢ったのはエドラルだったよね?」
 と、アンリ。
「あの頃……王都にいても子供には食べもの、手に入らなかったから」
 当時の空腹感を思い出したのか、トリシアは胃のあたりに手を当てる。
 大きな飢きんなどがあって、作物が獲れなかったわけではない。
 貴族たちが高い税をかけて収穫のほとんどを独占し、貧しい人たちに与えようとしなかっただけなのだ。
「それであんたたち、エドラルまで流れていったんだ?」
 と、セルマ。
「でも、あっちでも食べ物なかった」
「…………」
 実際、アンリたちはそうした光景を目にしていた。貴族と手を組んだ一部の者たちだけがぜいたくをし、残りの人々が飢えて死んでゆく姿を。
「あんたたちの親は、その時にはもう?」
 セルマが尋ねた。
「レンの家族は、貴族に言いがかりつけられて、捕まったの。ずっと地下牢に入れられてて……生きて出てきたの、レンだけで」
 トリシアの声が震える。
 自分の家族のことを説明しないのは、思い出すのが辛いからだろう。
「家族が捕まった時、近所の人、誰も助けてくれなかったって。だから、レンはこの街区の人が嫌いなの」
「……そっか」
 セルマはトリシアを抱きしめた。
「仕方なかったのさ。みんな貴族が怖かったんだ。逆らえば、次に捕まるのは自分だから」
「うん。レンも分かってるよ。分かってても……もしもあの時って思うと……」
「何が英雄だ」
 アンリは立ち上がった。
「僕らはまだ、たくさんの人たちを救えていないじゃないか?」


…苦労をともにしてきたレンとトリシア。英雄と呼ばれながら、自分の無力さにいらだつ、若きアンリ。レンとアンリの心の通う日は、いつ訪れる?
後編もお楽しみに!