WEB限定 書き下ろし小説

騎士の資格

第二回

*         *         *

「変わらないな、ここは」
 小さな噴水と花壇があるこの裏庭は、リュシアンが小さい頃に何度も訪れたことがある場所だった。
 今夜、婚約を発表するアナベスは、リュシアンの幼なじみ。
 お互いの家を、毎日のように行き来していた仲である。
 アナベスは、リュシアンが覚えたての曲を真っ先に聞かせる相手だった。
 竪琴を奏でるリュシアンを、ベンチに座ったアナベスが静かに見つめている。
 あの頃はそれが、ごく自然なことに思えた。
 だが、リュシアンが白天馬騎士団に入ってからは、二人が会うことはほとんどなくなった。リュシアンが覚えているのは、アナベスがまだ十歳のころの姿だ。
(あれか……?)
 リュシアンは視線を巡らして、昔、アナベスが座っていたベンチを探す。
 すると。
 噴水前の白いベンチに、ひとりの少女がぽつんと座っていた。
「あれは……?」
 間違いない。
 美しくなったが、面影は残っている。
 アナベスだ。
 グラスを手にしたアナベスは、ぼんやりと噴水から上がる水を眺めている。
 カサリ。
 リュシアンの手がそばの植木に触れ、木の葉が音を立てた。
 アナベスははっと顔を上げて、こちらの方を見る。
「久し振りだ」
 目が合ったので、リュシアンは気まずそうに声をかけた。
「ええ」
 アナベスはうなずくと、立ち上がって噴水のそばに行き、白い指先を水に浸す。
「婚約おめでとう。相手はたいした資産家だそうだな」
 相手の男のことは噂でしか知らないが、リュシアンは一応、祝福の言葉をかけた。
「あの方の親が、です」
 アナベスの口元が、きゅっと結ばれる。
「同じことだろう?」
「……そうですね」
 指先から、宝石のような水滴がこぼれ落ちる。
「あなたがここに来るのは何年ぶりです?」
「そうだな、六年ぐらいか?」
「最後は、私が十歳の誕生日」
 まるでそこに、今は遠くなった日々の光景が写っているかのように、アナベスは水面を見つめる。
「小さい頃は夢中でした……あなたの唄に」
「それは光栄だ」
 リュシアンもあの頃は、アナベスに聞かせるためだけに曲を覚え、練習したものだった。
 だが今、それをここで言っても仕方がない。相手は、結婚を控えた女性なのだ。
「ずっとあのまま静かに時が流れて……ずっと一緒にいられると思っていたけれど」
「俺は騎士。国の命運がかかった大きな戦いもあった。無理な話だ」
 舞踏会場の方から、アナベスを呼ぶ声が聞こえてきた。
「もう、行きますね。主役がずっと隠れてはいられませんから」
 アナベスはグラスを噴水に沈めると、目を伏せたまま告げた。
「ああ。そうした方がいい」
 うなずくリュシアン。
「……今日はありがとう」
 リュシアンが呼び止めてくれるのを待つかのようなためらいを見せたのは、ほんのわずかな間だけ。アナベスは思いを振り切るかのように、早足で会場へと戻っていった。